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『人類の道理』 by "Mortal's Specifications" author

                                     
    『人間の創られ方の基本』 2015 
                                     
                                     
 人間が、各々その肉体をもって、この世の中に生きるために何が必要なのか。
 自分の力で生きているのか、生かされているのか。            
 世界、全人類、何人も、自分の力で生まれることも、死ぬこともできない。
 それだけではない。自分の心というものが解らない。
 常に自由になれる心を持っていながら、思うようにならない。
 目に見えない何かに束縛されて自由に好き勝手には生きられない。それは
鏡の前に立ってみて、たとえ何日、何ヵ月、自分の顔を一生懸命に見てみても、
自分自身が何者であるのか、何なのか。
 これをどう考えても解らないからである。
 人間は、自分自身は、何によって創られ、何をするために生まれて来たのか。
 いつ、どこで、誰が、どうして、人間を創ったのか‥。
 もし、人間のすべてを解る者がいて、「人間を創った」という者がいて、
それがはっきりと「お前は人間として、こういうふうに創ってあるから、
このように生きなさい」というように、無から有に変わる時、目的も構造も
解る設計図もあって、肉体の創られ方、その心、その人の使われ方、
そうしたすべてが解っていたなら人生何のためらいもなく堂々と楽しく生きて
天職をまっとうするであろう。そこに苦もなく不安もないはずである。
 ただ人間は、何人を問わず自由意思をもって生きる生命を与えられてある。
また、その人その人、それなりに正しく生きられる知識も与えてある。しかし、
必要以上の知識、経済、美貌。それらはすべて、己にとって最大の敵である。
そこで、自由意思。生きるために与えられた知識。
その暴走を抑えるために考える力。要するに感情を人に与えてある。
 
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 生涯、その肉体を動かした心というのは、
いつ、誰が、どこで、どうやって創ったのか。
 なぜか自由にならない自分の心、これが何なのか。
 人間が作った物、道具は、何を作っても、
それをどこまでも詳しく知っている者が必ずいる。コンピューターにしても、
どんな精密な機械、器具にしても、その設計図があり、
使う目的も はっきりとしていて、作った人がいる。たとえそれが、
どこか故障しても、作った人、設計した人であれば、治し方も解る。
 しかし、自然界は、人間が創ったのではない。
人も人間が創ったものではない。
 大自然の中の小自然。人間は自然の産物であり、
学問の上で何かによってできたものではない。
これは誰かが必要として創った、与えられた命である。
 父親と母親が本能的な男女両性の結合によってできた人間。
 その、心の容器である肉体とは、固まった物と固まった物をくっつけて、
「このように創った」というわけではない。
女の子は最初から女の子であり、男は最初から男であり、
産れる前から、各々が両性の結合の時から、既に、
女は女、男は男に創られている。
今生に産み落とされる前に、最初からそう決められて創られている限り、
これを途中で変えることも絶対にできない。本来、人間はそう創られている。
そして人間、誰もが、右の方に右の手があって右の形をしていて、
左の方に左の手があって左の形をしている。
これが、人間の創られ方であり、何人も逃れられない事実である。
 
 現世に形づくられ、実在するものすべて、その者が生きるために必要な知識、
その職責・職能は、無から有に変わるとき、既に形創られる前、受胎された瞬間
から、大自然の法則によって完全に決められている。
 その、受胎の瞬間。形創られる瞬間に、直属の先祖霊、5千人の魂が入る。
 その心、魂が、生涯、その肉体を動かしている。支配している。
 そして、その魂が離脱した時、その瞬間が、人間の死である。
 今、これを読んでも、単純に、「何で5000人と決めるの?」と、
疑問に思っている人もいるかもしれない。
しかし、それが解るほど利口に創られているのか、いないのか。
自分自身が何なのか?今、それすらも解らないはずである。
 ただ単純に、本能的な男女両性の結合の結果、
今これを読んでいる己の存在が有るということだけが判っているだけである。
かつて、母親のお腹の中に入っていて、
どうやって手足を付けて、どうやって臓器を入れて、どうやって目鼻を付けて、
どう創ったのか。何も誰も、解っていない。ましてや、心など解るわけがない。
絶対に、人間は人間を創れないし、解らない。
それを解ったつもりでいるのが教育である。
絶対に、人が人を創ったのではない。
そして絶対に、人間は人間を教育できない。
 
 その時その時、各々誰もが違う考え方で生きている。
 父親と母親の、それぞれ2500人ずつ直属の先祖霊、5千人の魂が入っていて、
人の心というのは、決して安定していない。朝に晩に昼に、フラフラと違う。
一年中、まったく落ち着きがない。常にフラフラとした考え方である。
平気で悪い事もするし、時には良い事もするかもしれない。
 その5千人の魂を統一するために、神魂という神の魂が入っている。だから、
人が見てるから良い事をするとか、見てないから悪い事をするとか、
自由に何でもやっていいと云うわけでもない。できないのが人間である。
「何でもやれ」と云われてみても、神魂という魂が入ってる限りはやれない。
 
 人の数の魂は、何であったのか。
 いま現在、生きている人の数より、死んだ人の数の方が多い。決して、
泥棒は泥棒のままで、火つけは火つけのままで、人殺しは人殺しのままで
魂は入ってはこない。
 幽界、霊界において、どんどんと修行され、素晴しく磨かれ、
今生で生きるために必要な知識、その職責・職能を備えられて産れてくる。
たとえば、過去に一回、悪いことなら悪い事、泥棒なら泥棒、火つけなら
火つけをして死んでも、ここにきた魂は、地獄のような苦しみをしながらも
修行に修行をかさねて、「よし、これでもう大丈夫だ。お前はもう一度、
現界に帰って、堂々と生きて来い」というふうに出てくる。現界というのは、
要するに、三世があったとしても、こうした自然界は他にない。
月にもないし、火星にもない。それこそ、どこにいても、こういう場所はない。
地球しかない。
「もう一回、地球上に生きてこい」と云われてきた魂。
 別の場所で修行され、生涯、読者自身なら読者自身、私なら私に入って、
この肉体のある限り、思う存分、やりたいことをやって、
したい事をして生きて来いと、創られた通り生きるように完全に決められ、今、
生きるために必要なあらゆる物を与えられて、この自然界に生かされている。
肉体があるということは、今生だけのことである。死んでしまえば肉体がない。
 
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 このように人の心は、行動は、知識は、学問によって、親の教えで、
学校の教育によって、また、社会の先輩の指導によってできたものではない。
 人間が創られる時、両性の結合によって、受胎された瞬間に、
人間として必要な魂を その肉体に入れられて出生する。
その時から自然と人の生活がはじまる。
 では、その、自然。大自然とは何なのか。
 それは、人が生きるために必要な、天・地・人の気である。
 天の気。それは、光。熱であり、燦々と輝く太陽であり、
果しなく続く澄みきった青空であり、潤いのある雨、爽やかな風である。
そして、酸素。自然界の空気である。
 この、天の気なくしては、人は一瞬たりとも生きられない。
 地の気。それは無限に広がる大地である。
そこに果しなく流れる汚れなき川であり、
湧き出す清い水、様々に形づくられた山々、そこに育つ樹木、
数限りないすべての動植物である。この大地の気、自然の恵みは、
人の生活と絶対に切り離せない。
 人の気。人は人に、親は子に、子は親に、それぞれに異なる愛がなければ、
生きていけない。それは、正気にせよ邪気にせよ、すべて己自身の心である。
決して、最初から「人間の心が悪い」ということはない。
邪気はすべて自分で作り、すべての犯罪がまず、
心の容器である肉体に原因があり、世の中の教育に問題がある。
だから一人、犯罪者を捕まえて どんなに精神鑑定しても、絶対に何も解らない。
そうした考えは実に幼稚で浅はかなものである。
ただそのように人間を解らない者の作った学問、学識、教育、これまですべての
思想や宗教の教えが間違っていたのである。
だが、そうした善悪の問題以前に、人は人の気がなければ、
一瞬たりとも生きてはいけない。
 
 このように、自然の万物は、天地人の気によって
創られ、産まれ、育ち、死にゆく。即ち、生命あるすべての者が、
この大自然の気によって生かされている。そして
自然の産物である人間も、この大自然の気を受ける肉体。その肉体を動かす心が
常に満たされているなら、人は、日々を明るく元気で楽しく過すことができる。
 
 「自然と人間」ということは、よく聞くことであるが、一体、自然と人間は、
どのような関係にあるのか。
 一年は365日。そして一日は24時間である。
人間は、この24時間をどのようにして生きているのか。
また、人間の臓と腑はどのように動くのか。
 一日が始まる朝、人間がまだ眠っている時、太陽が東の空に昇る。
その時から人の体の動きも始まる。
 まず、肝臓は心臓へ血液を送る。心臓は血管を通して血液を全身へ流す。
この血管の長さは頭の天辺から足の爪先まで毛細血管すべて繋ぎあわせると、
成人にして実に地球を二周半するほど長いと謂われている。
そこへ、24秒間で一回転する速さで廻るように心臓が血液を送る。
 ここで、人間の体に流れているのは血液だけではない。気も廻っている。
 これが、天・地・人の気であり、自然の法則である。
 そのことによって、人は、目が覚めて、起きて、一日の仕事ができる。そして
夕方、太陽が西の空に傾く頃から全身に廻っている血液は少しずつ肝臓へ還る。
日が暮れて一日の仕事を終え、家へ帰る頃には、陽の入りと共に、血液は肝臓へ
還ってくる。
 肝は血を蔵す。だから人は夜になれば休み、眠ることができるのである。
もし、血と気が一晩中 廻っていると、人は、休むことも眠ることもできない。
このことを自分自身が判る解らない、知っている知らないは別として、本人が
意識しなくても、人の体と自然は、このように流れがあり、動いている。
不眠症、昼行燈と言われる人、朝起きられない人は、このことをよく考え、
自分に聞いてみて、いま己自身の肉体が、そのように決められた通り
動いているのかどうなのか。その決まりから完全に外れているとするなら、
その人は人間の形をした化け物。獣である。
 やはりその体型も、本来の人間の姿として正常ではないし、変形している。
 
 その体型。そして骨格。このことも自然界に生かされていることにおいて
大切なことである。人の体の骨、骨格を結ぶ関節は365あると謂われている。
しかし、骨と骨が直接に組まれている場所は絶対にない。この365の関節は
全部、筋肉によって覆われ筋肉によってしっかりと抑えられている。だから
骨が磨り減るとか曲がるとか、老化する、変形するということはないし、骨が
痛いということは絶対にありえない。首や腰が動くことも手や足を伸ばすことも
曲げることも、筋肉が動くから関節が動くのであって、骨は動かないし削っても
叩いても痛くはない。
 そのために人間の体は、その全体の65%が筋肉で創られている。
 では、この筋肉は、何によって動くのか。それは、血と気によって動く。
 よく世間で「血の気が多い」とか「気が利く」「気が利かなくて馬鹿だ」とか
色々と言われ、血と気ということについては様々の言葉で表現されている。だが
このことは、人がこの世に生まれた時からあったことであり、誰も教えられて
知ったということではない。だから考えてみる人がいない。むしろ“気”ということ
について、目には見えないこと、自分が受けた教育の中に無かったことについては
批判的である者が多い。それは病院のお医者さんにしても、大脳生理学を唱える
学者にしても、まず、人間の創られ方が根本的に解らない。だが、人間は、
気と血の流れが定められた通り、決められた通りに流れていないと病気もするし、
死ぬことにもなる。
その決まりを破ったこと、自然を破壊することが、即ち、人の病気。社会の病である。
 この自然界では、日の出も陽の入りも、満ち潮も引き潮も、すべて定められた通りに
動いている。この自然界の動きには、一瞬たりとも休みがない。
 人間も生まれてから死ぬまで、一秒の休みもなく動いているのである。
 また、人間のからだ全体の65%は水分である。骨であっても、臓器、皮膚、爪、
頭髪、細胞‥。これら人間を形創るために必要なものはすべてその数が決まっている。
水分量も65%と決められている。同じように、人間が生活している地球の水分、
自然界の湿度が65%である。自然界には春夏秋冬があるから、場所や時間、
季節によって若干は異なっているが、だいたい65%であることには違いない。
 現在、太り過ぎは病気とされ色々なことをして痩せるために大変な努力をするが、
痩せることができない。それは自分がなぜ太っているのか。どうして物事の道理から
外れ、醜い肥満体なのか。痩せ過ぎの人も何のために筋肉が乾燥し、変形している
のか‥。それは、その原因が解らなかったからである。
 ダムの中に草木は育っていない。砂漠に草木は育たない。同じように、人は、
必要以上に水分があってもなくても病気をする。それは自然の決まりである。
 我々が生きるこの自然界には雨の日もあれば晴天の日もあり、この定めによって
すべての動植物は、育って、生きている。
この、決まり。自然の決まり、人の生きている決まり、社会の決まり……。
自然については前記の通りであるが、社会は、村は、町は、市は、県は、国は、やはり
整然とした決まりの中にあって、流れ、動いてきた。
 まず、村には部落があって、大字があって、小字があり、そこに家屋、家族がある。
この家族は、家長であるお父さんを中心にして生活を営んでいる。
 市町村もまたその通り、市長がいて、助役がいて、収入役がいて、各々部があって
部長がいる。そこに課があって課長がいる。係があって係長がいる。また市町村会が
あって、そこに議員がいて、その町で必要とすることを定められ、この定めによって、
市町村を中心にし、助役は市長を、課長は部長を助け、整然とその市政を行っている。
 もし、この決まりが守られなかった時に、市政は腐敗する。要するに、病気をする。
 家庭があって、市町村から、県政があり、国政があり、この行政によって、一つの
流れに従い、人ひとりの生活がある。そして国家は各市町村に出先機関を置き、
人の生活を支えている。それは県政も一緒である。
 そこで、人間の体の創られ方。流れ。これは、国、県、市町村の行政と同じように、
各々の臓腑は動いている。いわゆる、五臓の関係と人間の生きる場所。自然界、
社会の仕組みはすべて、五臓を対象に創られている。               
 心臓は肝臓から帰られてきた血液を自分の責任で血管を通して全身に送る。血液が
送られることによって、全体の筋肉が、また細胞が動く。血管には動脈と静脈がある。
動脈は体内を廻った汚れた血液である。これを腎臓がきれいに瀘過して、肝臓に送る。
肝臓はまた心臓に帰る。
 人間の腰にある腎臓が血液を瀘過し、汚れた物は膀胱へ行く。膀胱は尿として
尿道を通して排出する。また、肺は、全身に空気、酸素を送っている。
 人間の細胞は三分間、酸素がなければ、その細胞は死んでしまう。そのために鼻は、
肺の出先機関であり、絶対に必要な窓口である。この鼻が、いっぱいに空気を吸って、
咽喉を通して肺に送る。これによって人は生きている。一方、大腸まで‥。要するに、
下腹部までじゅうぶんに空気を送ることで大腸は動き、排便できるように人間の体は
創られている。例えば、便秘の原因とは三つあるが、一つは肺。呼吸に問題がある。
また、脾臓という臓器に問題がある。
人間の胸には、大事な臓器。肺臓、心臓、肝臓があり、これらの臓器は肋骨の中に
あって、決して動かないように後と前から厚い弾力のある筋肉で しっかりと抑えられ、
各々が定められた位置で、定められた仕事ができるようにしてある。だが腑の部分。
それは、大腸、小腸、胃、膀胱、胆嚢。女性の場合は、子宮、卵巣とある。これらの
臓器はすべてその位置が決まっているが、その長い大腸や小腸を吊しておく鉤もない。
胃も胆嚢も膀胱も卵巣も上げておく棚もない。すべてお腹全体の筋肉。即ち、脾臓
によって支えられている。ただ女性だけは膣の上に子宮を支える特別な筋肉があって、
更に4本の筋肉(靱帯)で吊られ、必要以上に動かないようにしてある。
 ところが、人間は二本足で歩く動物である。(#1985年~)最近はそうでもないが
人は生後一年もすれば二本足で歩く。それがもし立った時に、膝を曲げ猫背になり、
肩を張った前屈みの姿勢で そのまま歩くというような格好になると、必ず体型を崩す。
筋肉が変形し、呼吸も浅く全身に負担がかかる。そのためにすべての腑は下腹部に位置
してしまう。すると、臓器の動きが激しく、位置が変わり、そのことによって全身の
気と血の流れが滞る。そうして原因不明の病気、人の体に起こる色々の症状ができる
のである。
 例えば人の目で見える部分で右の方に右の手があり、指も全部、右の形をしている。
絶対に左の方とは合わないように創られている。目も耳も、間違っても同じではない。
またその場所から移動もしない。もし肉眼で見えるほど左右に動いたり上下したなら、
これは大変なことである。ところが目に見えない部分で、お腹の中の臓器の動き‥。
位置の変動。このことによって体型が変わってくる。すべて筋肉の変形である。
 
 まず下腹部が出てくる。それは脾臓に内臓を支えておく力がないため、腹筋が弱く、
本来の定められた各々の位置から内臓が下垂したためである。下垂した内臓は、
両脚の付根(鼠蹊部リンパ節の辺り)にある太い静脈と動脈を圧迫する。この血管は、
人間の上半身と下半身を繋ぐ大切な血管である。そのために両脚の太腿の付根から下、
足の方へ血液の流れが悪くなってくる。そして、太腿の裏、膝の裏、脹脛、アキレス腱
というように足の筋肉が重くなり、だんだんと冷えて、つれてくる。むくみ、だるい
ということも同様である。本来あるべき位置から内臓が下垂した結果、腰も痛く
肩も重く張り、首が、頭が重く痛くなって、目が疲れ、顎が前に出て猫背になる。
思うように下腹部に呼吸が入らず肩で呼吸をするようになる。また排尿もよくなく
残尿感がある。勿論、便秘にも悩むことになる。要するに、尿道筋肉にも肛門筋肉にも
非常に血液の循環が悪いため、必要な時に出口がひらかない。
 肉体は心の容器である。肉体が駄目になれば心が悩み、心が悩めば肉体は病む。
 こうしたことはどんなに医学で考えても精密な機械を使用して診ても判らない。
そこで、統計に照し合せ何の異状も認められないと、自律神経失調症、生活習慣病、
慢性疲労症候群、過労症などと診断されるし、それを診察した方はもっと解らない。
 医学では、今まだ原因の解らない癌。心臓病、脳血管の障害、糖尿病など
(所謂、成人病には第二次大戦後から今日まで全国に建てられた原子力発電所や、
そういった施設から徐々に拡がる大気や雨水、食べ物への放射能汚染にも問題があり、
皮膚を含めた呼吸や飲食で体内へ累積されるモノを排尿や排便で出し切れないために、
人間の細胞と血液の流れが大きく破壊されることにも原因があるが)それら成人病
と謂われて来たものだけではなく、自律神経失調症も、不妊症も奇形児の出産も、
鼻炎や肩こり、腰痛も、ほとんどの病が内臓下垂。まずここからはじまっている。
 とくに戦後の教育によって母体が破壊されたために、現代女性は脾臓が悪い。
 
 では脾臓という臓器は、どのようなもので何をするのか。
 脾臓とは、大事な臓器を定位置に置き、それを守っているお腹全体の筋肉である。
また、人間の体、全身の筋肉に必要な血液、必要な燃料を全体に運行しているのが
脾臓である。
 医者も学者も、これらのことが自分の知識と違うと思うかもしれない。だが、必要
以上の知識で悩み、苦しんでいる。人間は医学が創ったのではない。だから、人間の
脾臓が学問の上で右の脇腹にあるとされていても左にあるとされていても、それは本来、
自然界に生きる人間とは関係ない。脾臓とは、お腹全体の筋肉そのものを云う。
脾は運行を司る。その脾臓の筋肉、腹筋の中には大腸も小腸も胃も胆嚢も膀胱もあり、
女性には子宮も卵巣もあって、前側から後ろへ腰の骨を囲んで要壁。要するに、腎臓を
守る腰の筋肉があり、全身の筋肉は、腰にある腎臓が濾過した血液を蓄える肝臓の
管轄にある。そして、人間の深い呼吸と同時に動く、お腹全体の筋肉としての脾臓は、
胃の活動を始め、あらゆる臓器の活動の運行を司っている。
 臍の下を基本に創られた内臓を支える筋肉、有志の以前に創られた人間の脾臓とは、
五臓六腑全体の運行を司ることから、自然界では土、土台の部分。大地に喩えられ、
曜日では土用(土曜)。土を意味する、肉体の土台である。
 この人間の臓腑、五臓の全体的な運行を司り、安定を図っている脾臓という臓器は、
五味五臓では、酸味、すっぱいものを要求する。たとえば、妊娠中の女性、母親は、
下腹部の筋肉を使って常に胎児を育て守っている関係から、妊婦が柑橘類を欲しがる
というのは、そういうことである。
 また、人間の歯は、歯茎という筋肉に支えられ、口の周辺の筋肉と歯を支える土台、
人間の歯茎も、主にお腹全体の筋肉、腹筋、脾臓と密接に関っている。そして脾臓は、
人間の五臓六腑を支え、すべての内臓、臓腑全体の運行を司ることから、人間の、
泣く・笑う・怒る・驚く・哀しむという五志五臓の中で、脾臓とは、人が悩む、憂う、
哀しむということに関係している。
 
 このように、脾臓という臓は、とくに腑である胃と関係するが、人間の体の中では、
心臓、肺臓、肝臓、腎臓と表裏を成す、すべての腑を支え、その全体的な運行を司る
役目を果している。それは、大腸、小腸、膀胱、胆嚢、胃。本来それら大切な臓器は、
すべて腹筋。即ち、お腹全体の筋肉である脾臓の中にあり、この脾臓の筋肉によって
支えられ、しっかりと定位置にあって、各々の職責をまっとうしている。
 ------------ それが、自然の法則である。
 朝に太陽が出て、夕方に暮れる。市長は市長の机に、以下、助役も収入役も、その
与えられた席と職務がある。それが、その人に与えられた職責と職務である。人間の
体の中の臓腑もすべて、与えられたことを忠実に守っているから生きているのである。
 自然も、社会も、人間も、この決まりから外れた時に問題が起きて、悩み苦しみ、
病気をすることになる。
 この自然と人間の仕組みと、五臓六腑の関係が解っていて、肉体を動かすのが心で
あることを解らないために、人が悩むことも、病気も、決して治せない。
 しかも、物事のはじまり、原因について、まったく解らないようにさせている教育。
そうしたあらゆる学問が、教育の知識が、経済が、科学が、人の心を苦しめ、それを
治せない。世の中の計算による知識、学問。すべての思想、宗教。社会の教育。また
親の教え。即ち教育公害である。これがどれほど自然を破壊して来たのか‥。だから
今まで通りの教育、今まで通りの教え方では絶対に何も変わらない。
 医学も外科的なこと以外は絶対に解らないし、治せない。骨だけを考える幼稚な
知識‥。そればかりでなく、人の体を診る時、部品的、統計的な判断。何百種類とある
抗癌剤にしても、また、どんなに素晴しい医療設備にしても必要以上に経済を追求し
結果だけを診て考える常識。これまで何が人間に役立って来たのか。人間の脳一つ
にしても統計による解剖学。それを何とか遺伝子の関係に結びつけようとするが、
既にそれに携っている者の頭がおかしいし、人間ではない。機械である。
今日、医学という学問があらゆる科に別れ、病院の治療も器械と器具と検査する者と
治療に当たる者の知識が教えようもなく複雑に専門になっている。ひとつ、どんな薬も
それが役に立っていた時期もあったかも知れない。しかし目も耳も鼻も、心臓も他の
内臓もすべて、関連をもって動いている。手足十本の指とどの臓器がどのように関係
しているのかも決まっている。人間はどれも初めからそのように創られている。
 人間の目(眼球)は肝臓の窓口であり、肝臓は胆嚢と陰陽、親と子の関係にある。
肝臓という臓器は常に血液を蓄えている。だから血液の流れ、潤いがあることによって
生きる全身の筋肉は肝臓の持分であり、人間の肝臓は五臓の中で将軍の位を持つ。
そして肝臓とは物事を考える臓器。その計画、命令を実行するのが腑である胆嚢の役目
である。もし肝臓が命令したことを部下である胆嚢が実行できなかった時、胆嚢は胆汁
を分泌しなくなり、まず、それを必要とする胃が掴まれたような痛さになってくる。
現代医学ではこれを単に、神経性胃炎などと呼んでいる。そしてその人は、やはり
肝臓の窓口である目にも異状を来たしている。それは単に、胃がムカムカとしていて、
いつも苛々しているだけではなく、本人が怒っているわけでもないのに目つきが悪い。
「目は口ほどに物を云う」と謂う言葉も、この肝胆の関係からきた言葉である。
 人間の耳は腎臓の出先機関であり、腎臓は膀胱と表裏を成す。その膀胱の延長が
男女両性の生殖器であり、腎は精を司る。腎臓は子供を造る臓器でもある。
 また、人の顔にある鼻は呼吸器であり、肺と大腸。そして、両方の手の親指と
人差し指に関連している。
 例えば痔という問題。人間の肛門筋肉は大腸の延長である。痔には4種類あるが
それは、まずこの肺と大腸の関係、そして人間の頭の天辺の筋肉。その部分の
気血の流れと関係しており、痔瘻とは、とくに呼吸、肺の仕事に問題がある。
 また、心臓と小腸の関係。とくに心臓と舌、手の小指は、絶対に離して考えることは
できない。俗にいう成人病の後遺症などで、呂律が回らなくなる、舌が痺れるという
ことがあり、そして手の小指が冷たくなる。それは手首の脇、小指から繋がる神門
と謂われる場所。そこが心臓と同じように鼓動を打っている‥。その、脈に必ず変化が
ある。つまりその時、心臓という臓器の仕事に支障を来たしていることを体表に知らせ
ている。これを臓表(臓象)と云う。
 しかし先天的なものは別として、心臓独自の病気というものは決してありえないし、
人間の心臓そのものが悪いということはない。
人間の臓器は それほど弱いものではない。
 心臓とは全身へ血を送っている臓器であるが、心は血脈を司る。人間の体には心臓と
同じように鼓動を打つ脈が27ヵ所あり、すべての血管は心臓の分担、持分である。
先にも述べたように人間の血管はとても長く、人ひとり、頭の天辺から足の爪先まで、
その毛細血管までも全部 繋ぎ合わせると、実に地球を二周半も周わるほどの長さがある
と謂われている。この血管と、人間の右脚と臓腑の位置の関係。また、全身の筋肉の、
どの部分の気血の流れが悪いのかが判らない限り、医学の上で言う心筋硬塞や弁膜の
異状、狭心症、不正脈というものは治らないし治せない。
 だから各々、別な物の見方ではない。
 人間の体は絶対に、部品と部品を組み合わせて創られたものではない。
それがどうして別けて考え、別けて診て解るのか。
この「解らない」ということに一時も早く気づき、
それを認め、自分で自分の命を守ること以外、
自分で自分を救う以外には方法はないことを人間であるなら気づいたほうがいい。
 今それほど、全人類に、意識の革命が必要である。
そして、自然界の仕組み、整然とした流れ、自然の法則に合った生き方、
自然の摂理に適った生きる道を見つけなければならない。
 
 いま大勢の人々が望んでいることは、その人生においての成功でもなく、
生前中、高額な仏壇や墓石に戒名を買い揃えることでもなく、その余ったカネで
病院をまわり歩いて、医者や坊主に教えられた通り薬を飲んで寝ることでもなく、
風呂へ入るにもトイレへ行くにも、決して他人の手は借りず、迷惑はかけず、
最期まで自分の肉体を自分の力で運び動かすことである。
 どんな介護も、そこへ携わる者にも、ひとつそこに必ず交換条件があって、
便利さや快適さを考えてみたり、介護する側も、される側も、それぞれに
勝手な権利を主張しているが、福祉とは何なのか。何を隠すための福祉なのか。
自分達で用意した社会の中で、何かから逃れるための宗教法人と並んで、
信者、国民から税金や年金を騙し取る目的でしかない政策なのか。
 かつて海であった場所を埋め立て、山であった場所を切り崩し、道路を敷いて、
その開発のための人件費、予算や公共事業に乗った地方行政や企業の安泰にしても、
それがいつまで続くのか。
 河を塞き止め、ダムを造り、水路を引いた場所の農地。その土地や財産にしても、
それが本当に人間のものなのか。
 必要以上の経済、必要以上の美貌、必要以上の知識により、このままゆっくり
ゆっくりと地球が破壊され、そこへ勃るどんな災害も事故も、事件も、それらは
すべてにおいて人災である。神も仏も決して、人間を救わない。
 
 その容器の崩壊。そのなかにいる人間は、自分という人間の肉体、その容器を
動かす心、素晴らしく磨かれ、永遠の魂がありながら、己自身には気づけない。
それでも、今これを読んで、自分のことを知り、それを認めて、
「私は馬鹿なんだ。決して自分が思うほど利口ではなかった。
今日から素直に生きてゆくよ」
「オレは社長ではなかった。今日からゴミ拾いをやるよ」
そのように気づけばいい。
 
 テレビ、新聞等の報道に隠されている自然の汚染は、今後どうにも抑えられない。
また、自然の崩壊の中から涌き出る社会の臓表。財界や行政の汚職、すべての犯罪が、
教育による結果である。決して今まで通りではない。
 人の心も、大地も、すべての草木も、これから先どうなっていくのか。
何人も想像のつかない変化が待っている。
 科学も、医学も、経済も、日常生活も、これほどまで進歩、発達が進み、
人々の生活は楽しいわけなのに、人は悩み苦しんでいる。
そして、荒廃したこの世の中を何がおもしろくないのか‥。
頭が良いと思う者ほど、自分が綺麗だと思っている者ほど目を吊りあげ、
黒目を上にあげて歩いている。俗にいう三白眼である。
確かに形は人間であるが、目つきも考え方も、その行動の一癖も狐か狸のようで
今まさにとても滑稽で面白い世の中が出来つつある。
その心、その目が、何が原因なのか。
そうした原因と治す方法を正しく知る対話による指導が必要だった日本‥(中略。)
とくに行政、教育の現場、医療や施術治療の面で、また会社組織の中で指導者とされ、
周囲に頼られている者。世の中に隠れて精神科へ通っている者。今まだ余裕あるうち、
己の肉体と心を適切に管理・保管し、己で養い、その健康維持に心掛けるべきである。
なぜなら、大自然による革命。自然の崩壊は、医学、教育、宗教、経済へと進み、
最早、全世界の政治、「政」にまで及んでいる現代である。
 人間の心の容器が肉体であるとするなら、肉体。その人間の容器は、地球である。
 自然が破壊され、現在、世界中のあらゆる所で各々の棲み交いする場所を破壊し、
地球は壊れてきた。今ここで、誰もが安心していられる姿形、本来の自分自身の心、
生まれたままの姿で、自分が創られた通り、自分らしく生きることが必要とされている。
 
 
  ※『政治革命』序説「人類の道理」(村上勝夫 筆)より引用。そのまま、
  『人類の道理』と題して携帯できる文庫本で世に贈り出す必要に迫られ、
  この世から著述した存在が消えた2001年の翌年に500刷の中へ掲載。
  西暦2011年3.11以降、あらゆるヒトの営みが過酷な放射能汚染時代に突入、
  日本の原子力発電所の事故が悪化され、時代の変化、医食住の変貌に伴い、
  初版『Badlife』の一部を記し直す。

 
 
 





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     肺臓と大腸と鼻
                                     
                                     
 五臓の中の一つであり、人が生きるために最も大事な臓器である肺は、体のどこに
あって、何をしているのか。また、人間の体の臓腑と関係して動いているのか。
 肺という臓器は、人の上半身の胸の部分にあり、しっかりと肋骨に支えられ、その
上から筋肉によって覆われており、呼吸をして全身に空気を送っている臓器である。
 人間が創られ、この世に生まれ出る時から、太陽も、水も、空気もあった。だから
改めて、空気のことを考える必要もないようであるが、人間は五分間、空気を吸わず
には生きてはいられない。この大事な仕事をしているのが肺であり、人間が母体から
出生して「ヘソ」(の緒)を切った時から、その生命のある限り、呼吸をしている臓器
である。
しかしこの肺も、肺だけが呼吸をしているのではなく、体の色々の臓器と関係している。
 まず、顔にある鼻は何をしているのか。この、鼻と肺は絶対に切り離せない関係に
あって、人間の鼻は肺の窓口である。したがって鼻は、呼吸器以外の何者でもない。
しかし、現代の医学では、耳鼻咽喉科として、鼻と肺を切り離して考えてしまったため、
鼻に関する病気は、その原因も治し方も何一つ解らなくなってしまったのである。
 また、この鼻が呼吸をして、空気を肺に送り込むために必要な物がある。それは、
両手の親指である。この親指と肺とは深い関係にある。だから、アレルギー性鼻炎とか、
鼻づまりとか、鼻に関するすべての病気は手の親指から鼻に流れる部分の筋肉に原因
がある。つまり、人の顔にある鼻も、決して鼻だけではなく、肺やその他の臓器との
色々な関係を持つ筋肉を診なければ、花粉症やアレルギー性鼻炎と呼ばれるものは、 
絶対に治すことができない。
 また、人間が排便をするということに、肺という臓器は大切な役割を果たしている。
 人が生きるために絶対に必要なことは、食べるということである。しかし、食べ物
全部が栄養となるのではない。体にとって必要な物は、血液によって体内に流れる。
その食べたものの「かす」、大便は、大腸を通って排出されなければいけない。この、
排出のされ方は、肺が精一杯 空気を吸って、下腹部の筋肉が動くことによって、大腸
も動いて排便できるのである。
 例えば、便秘とはどうしてなるのか。
 世の中には便秘の人が多く、特に女性に多い。
 まず、便秘をすると肌が荒れ、体に色々の吹き出物が出てくる。
 便秘の原因は、肺と大腸のバランスの関係。他に子宮と膣と肛門の関係で、肛門筋肉
が開【ひら】かずに、しっかりと排便できないこと。また、人間の体の水分量と自然界
の水分による燥と湿の問題の、三つの原因がある。
 このことについては本書(初版『人間の設計図 』)便秘の項で具体的に説明してある。
 このように、肺は、空気を吸うだけでなく、大腸と関連して排便の仕事もしているの
である。そして、両手の親指と肺。人差し指と大腸がそこに関連している。
 このことについては、鍼灸学の上で「経絡」としてあり、また、漢方という医学の中
でも、色々と教えては来たのだが、残念なことに既に慶応年間にその素晴らしい医学も、
きれいになくなってしまった。 また最近、そうした医学も見直されて来たと言うが、
それは学問であり、一つの方法論であって、実際には、人間の創られ方というものが
解らないために、人間を治せない。
 人間の大切な臓器は、その臓器が単にその場所にあるだけではなく、あらゆる部分と
つながりを持って生命活動をしている。
 人間の体は決して、部品と部品の組み合わせではない。
 そして、人の体の表面。つまり、人間の皮膚とは、肺の持分である。だから、皮膚
呼吸ということも、単に皮膚だけが呼吸をしているのではなく、常に肺。そして大腸と
鼻と関連して動いている。そのように創られているのが人間である。
 昔から「顔が青いと肺が悪い」と言ったのも、便秘をすると肌が荒れるのも、この他
にもアトピー性皮膚炎と言われるものや蕁麻疹など人によって色々の症状が表れるが、
皮膚とは、肺と大腸の責任であるということを知っておくべきである。
 
 そして、人間の体には、心臓、肺臓、肝臓、腎臓、脾臓(おなか全体の筋肉/腹筋)があり、
その下り物にも五つの種類、色がある。それは女性だけの問題ではなく、男にもある。
例えば、肺という臓器から降りた場合は、白い色。水分の多いものがサッとくだって、
下着には、おからのようなカスが着いてしまう。それがそのまま陰部についた場合は、
非常に痒くなってしまい、小さい子供の場合は一日中、自分の股になにかを擦りつけて
いる。それは今3歳でも4歳でも、まだお話ができない年齢であっても、その女の子は、
お父さんの膝の上に坐ってみて、その膝の上に自分の股をしきりに擦りつけてしまう。
その親は、その子供について何も解らないし、まず、そばにいるその母親が同じように
どうにも我慢できない痒さがあり、人によっては全身のあちこちにも出てきてしまう。
ようするに、血液中の汚れとして体内を回ってしまう。それを大人であるなら、言葉も
話せるし、どうしても我慢できなくなって病院へ行って診察してもらうと、医学では、
一種のカビと称して洗浄することになる。 しかし、どんなに洗浄しても、単に結果を
診て判断しただけの一時的な対処でしかなく、これは治らないし、この痒みはとれない。
なぜならそれは、肺から下りた下り物である。
 だから自分の肺、その呼吸も、皮膚も、そこに繋がる色々な筋肉の血液の循環をよく
しない限りは、何も治らないし、治せない。
 また、五味五臓。肺という臓器は五臓の中では「辛い」という味を好む臓器でもある。
 そして、五志五臓。人間の肺は、五臓の中では「笑う」ということを司っている。
 だから、何もおかしい事もないのに常に涎を流すほど笑っている症状のある人。この
人は肺が悪く、肺に関連する腕、手の親指、胸の筋肉の血液の流れに問題があって病気
をしている。そのために発熱もある。
 ある一定の病原菌に肺や肺にまつわる臓器を侵されている場合もあるかも知れないが、
これも決して、肺ばかり、発熱したという結果ばかりを考えても治すことはできない。
その状態が、それ以上わるくなる以前に「君臣佐使」と呼ばれる処方を用いて病原菌を
体の外へ出して、その体に必要な物を補う必要もあるが、そうした素晴らしい医学も、
現在では失われてしまっている。
 だだ、世の中には、肺の関係から来る色々の症状に対して、香辛料。つまり「辛い」
という味のする野生の植物や種を使って、体の調子を整える考え方も残ってはいる。
しかしこれも単に、「辛い物が肺にいい」ということではない。
 人間の体は部品と部品の組み合わせではないと云っているように、人間の肺という
臓器は、決して、肺だけが独自にそこにあるものではない。だから、どんな物でも
「これを食べればいい」というように考えさせてしまう世の中の常識がおかしいし、
実に浅はかである。
 ただ、その人が、どうして辛い物を好むのか。それは、その人の肺が要求している
味であり、臓表【ぞうひょう】。
 つまり、肌が荒れることも、白い下り物が肺からくだって陰部が痒くなってしまう
ことも、何か臓器に支障があることを目に見える表側に知らせている一つの危険信号
であるということを知っておくべきである。
 
 
                  初版 『人間の設計図』 未公開原稿より。
                  掲載『白い冷蔵庫~仕組まれた核3.11
                  ASIN: B017YMOUHU
 

 
 
 
 
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